目を閉じると体が溶けて世界とひとつになる。
ひとつ、いやひとつっていう言い方は違うような気がする。
同一には成らない。やっぱり同化だ。同化。
例えば夕方に犬の散歩をしている時、犬に綱を引かれながら、田んぼに鳴く虫の鳴き声だけを頭に満たして目を閉じる。
そうすれば自分の形は見えない。感覚はあるけれど、そんなものは感覚でしかなくて、ボクの形がそうである証拠に、証明にはならない。
犬は自分を認識しているかもしれないけれど、目を閉じているんだから綱を引いているのが犬だとも限らない。他人もそれに同じ。
そうだ。認識できない領域は世界として認められない…そんな事を言った哲学者がいたような気もする。
稚拙ではあるけど…目を閉じて自分を放棄する妄想で、世界に溶けゆくことができるなんて素敵じゃあないか。
自分の形をなるべく忘れるようにして歩く。移動する。
見えない中でボクは霧散して世界と同化する。
風が当たる。
虫の鳴き声がする。
草木がそよぐ音がする。
それら全部は今、自分と同じものとして混ざり合って存在している。
そんな事を考えながら数秒、目を閉じたまま歩く。
開くといつも通りの自分がそこにいて、やっぱり綱の先にいるのは犬なんだけれど。